「贅後」より
支那語を読み知らうとする場合に、わたくしはこの書の藍本である「学生字典」を多年愛用して来た。もとよ り完備したものではないが、各字の意味の進展転用を簡明な熟語を加へて引伸して行く説明の仕方が気に入り、半途半端な雑纂字典よりははるかに使ひよいから であった。・・・わたくしがここに支那語と言っているのは、現代支那語といふ様な狭義なものではなく、昔からの典籍に載つているものをひつくるめて言つて いるのである。・・・いはゆる漢文と支那語を別々のものの様に取扱ふことは、かねがねわたくしには会得ができなかつた。大ざつぱに言へば、古代の典語は古 代の言語で、中世の文章は中世の言語であると思ふ。己が他に通ぜざるの故を以て独善に墜り、互に相軽んずる様なことがあるとすれば、甚だ量見が狭いと言は ざるを得ない。・・・しかし現在一般の常識では、やはり支那語といふものをさう広義には解釈していないから、書名は「支那文を読む為の漢字典」として誤解 を避けた所以である。